『永田町ラブロマンスⅲ』








会議は思った以上にすんなりと済んだ。
気にしていたほど、剣も俺に絡んでは来なかった。




官邸へと向かう道、何やら事故でもあったようで、思いの他時間を要した。
時間ぎりぎりとまでは言わないもののかなり差し迫った時刻の官邸到着。
通常、必ずといっていいほど遅刻をしない時間厳守の鬼である俺が、慌てて部屋に滑り込むという失態を犯す羽目に
なったのだ。
だが、そんな俺を剣は微笑んで受け入れた。「待っていたぞ」と…。
書類を手渡しすれ違い際、軽く肩の埃を剣によって払われたが、いつものギクリとする突っ込みも、俺を追い詰める軽
口すらも無く。寧ろそれが不自然な気すらしたが、その後のやつの対応はあまりに普段どおりで。俺は何の疑念も抱
かずに会議に望めたのだ。
書類に目を通した剣は、パシとその白い紙面を指先で弾き、これは吉報と確かに喜んでみせた。
事の他細工の素晴らしい会議室の扉をくぐる時、「よくやったな」と剣本人が俺に間違いなくそう告げたのだ。





俺は勝った。
そう思った。
全ての心配ごとが現実には起こらず、最もスムーズな流れで、俺は今この執務室に居るのだ。
黒光りする革張りのソファ、その豪奢な作りに腰を落すが、何やらどっしりと座り込む事が出来ない。
素晴らしい座り心地のソファに背を凭せ掛ける事すら出来ず、俺は前かがみに身を折って座したまま、膝に己の両肘
をかけ、組んだ手の上へと顎を乗せた。その姿勢のまま凍ったようにただそこにあるばかりだった。
その姿は、傍目から見れば何かに怯えるような姿であったかもしれない。背を丸め、貧相な様相。この俺が取るに相
応しくない行動。




俺は勝ったのだ。
そう思っていた。
己の行った行動が全て正しいのだと…。
そして、会議では思った通りの結果が出た。証明されたのだ。
俺はやはり正しいのだ。
結果が物語る。
剣政権にとって、今日はよき日となったのだ。
今後余程の事がない限り、この形勢がひっくり返る事などない。




俺は勝った。
勝ったはずだった。
ところが俺は、己の完璧なる勝利をを無理に信じようとしていただけのようだ。
そうなのだ。
なんて事は無い。
俺は、今。
勝ったはずの俺は、正しい事をしたはずの俺は




・・・・・・怯えていた。




その相手は他の誰でもない。先ほどから普段通りの笑みを見せる、目の前の総理、剣桃太郎。
俺が仕えるべき男。






















「頼光…今夜はえらく静かだな。・・・・・・先ほどの会議では、お前のお陰で万事上手くいったというのに、何をそんな
に暗い顔をしている?お前の手柄話を俺に聞かせてはくれないのか?」



剣は、琥珀色の液体を満たしたグラスを片手に、窓際の大きな出っ張りに体重を預けて、俺に悠然と語りかけてく
る。



「お前にも水割りを作っているのに、一度も口を付けてはいないぞ・・・?さぁ、ここへ来て、窓の外の素晴らしい月でも
眺めながら祝杯をあげようじゃないか・・・・・・それとも何か?先ほどの吉報、まだ何か気になる節でもあるのか」



剣の方へと、チラリ視線を飛ばす。開け放たれたカーテンからは大きな月が顔を出し、その明るさが逆光となって剣
の表情を暗がりに隠していた。
顔が見えない。剣の表情が分からない事・・・それは俺にとって、とても不安な事。
もとより剣という男。その美しい笑み一つで、腹の中の全てをひた隠す事の出来る男だ。
俺がどのように渡り歩こうが、最後には常にこの男のペースに嵌ってしまう。
それがまた、・・・悔しくもあった。



「さぁ、ここへ来いよ。乾杯をしてくれないと、俺も酒が進まない。さぁ・・・」



剣のこちらへと伸ばされる手に従うように、俺はソファから立ち上がった。
目の前に用意されたグラスを手に取れば、不規則に割れた氷の塊がカラリと音を立てる。
剣が月明かりを望んだ為。執務室内は無灯で、とても静かで。
今回の事に喜んだ剣が、俺と二人祝杯をあげるのだ、と。他の重鎮連中を皆帰してしまい、今は最低限の警備を官
邸内に配置するのみで俺と二人きりになっている。
粗方の書類の処理を終えた後、手に物の無くなった二人の間に、言いようのない沈黙が降り立ったのだ。
そこから俺は、普通ではいられなくなった。
簡単な事も口走れない、妙な空気を感じる。いや。剣は普段通りだ。俺自身がその空気を作り出しているというの
か・・・。
取り止めもない事を考えれば、自然浮かぶのは料亭での出来事。
結局忙しい時間を過ごした俺は、不本意ながら、車に飛び乗ったその状態で今の今までを過ごしていたのだ。
剣は何も言わない。剣も慌ただしい時間を過ごしたのだ。きっと何も気付かずやり過ごしたのだ。そう思いたい。
せめて、そう信じていたかった。
例え何らかを言われた所で、後は知らぬ存ぜぬを通すだけなのだ。
そのまま、真実は語るまい。・・・語るまい。



「仕方のない奴だ。酒ぐらい一人で飲めんのか?」



俺はいつものように大きな溜息をついてみせた。
窓枠に寄りかかる剣の元に慌てるふうもなく近づいて、掌の中の冷たい硝子を月明かりへと掲げ持った。



「安泰なる剣政権に乾杯!」



誇らしげな笑みを口元に乗せ、声を発した。
剣もまた、手の中のグラスを掲げる。自身の目線まで掲げ、ニヤと微笑めば、涼しげな目元が妖しげな輝きを宿して
いた。



逃げるべきだったのだ、それに気付いた瞬間に。



俺は逃げるべきだったのだ。

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